Archives for the ‘大地’ Category

富士の裾野

山の麓に押し寄せる生活の波は、こうしてみるととても儚い夢のよう。たしかにそこに山はあるのに、、、、。私の生活に、本当に寄り添ってくれるものが何なのか、表現者として考えさせられた、富士の裾野に立って。

稲作を終えて

大地を見下げていると、そこに空も見えるような気がするんだけれど、空を見上げていて、そこに大地が見えると思えるときもありますよね?

冬瓜

海の底と思えば泳ぎだしそうだし、地面にのっぺりと横たわっている姿は生命体そのもの。これを軽々しく「もぐ」と言っていいものなのか。そんな疑問はおそらく農家のひとにもあって、囲炉裏を囲ったとき山崎のお母さんは「体調が悪いともっていかれるの」とつぶやいていました。

岩角

どうしたらよいのですか? ようやくたどり着いたのに、問いかけるべき岩は、音もなく、時間の中へと消えてゆきました。今、問いは問いのまま、私の前にあります。

西汗

大地と空を分つものは何でしょうね。おそらく、そんなものを分つのはないんでしょう。それぞれはそれぞれに浸食し合いながら、環境というものに含まれている。いや、大地と空を分つものなんかなくって、そして、私ともつながっているんだったら、それらを含むものとしての環境なんてあってないようなものなんじゃないのかな。まあ、それでも、ひとまず上三川の西汗という場所の写真に「大地」という名を当ててみるわけですが、それはそれ、これはこれ。ちなみに、この場所を撮影したのは数年前、今は建物も木も現存せず。