Archives for the ‘インタビュー’ Category

高橋恭司さん

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冊子「ミチカケ」の関連イベントで高橋恭司さんとトークをさせていただきました。私のつまらない質問にも真摯に答えて下さいましたが、その最中に幾度か訪れた途方もない時間に思われる「間」は、まさに、恭司さんが辿ってきた人生そのものの「間」のようでいて、とても、深く潔い沈黙でした。ひとは主に、視覚的な人、聴覚的な人、内蔵的な人、とに別れると言われていますが、あの「間」は、内蔵的な人のものでした。あの圧倒的な身体こそが、恭司さんの写真を成立させているようにも思うのですが、打ち上げの飲み屋で「もう、身体すらもいらないような写真を撮りたい」(意訳あり)というようなことをおっしゃっていて、私の思考などあっというまに置き去りにされてしまいました

落ち葉さらい

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歳くったら一個百円とかの仕事じゃなくって山でも奇麗にしたいなぁ、そうつぶやく山崎のお父さん。原発事故後、断念していた落ち葉さらいを再開するべきか迷いは続く

関係性

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愛の巣箱

「優秀な種バトっていうのはよく飛んだ鳥ってことではないんだっぺ、つまりはよ、よく飛ぶ鳥を生むハトが優秀な種バトってことだっぺ」去年の今頃はまだハトをただただ気持ちよさから飛ばしていた山崎さん。私などには計り知れない今の心境を、うまく飛ばないハトが物語っているかのようです。それでも、悲しみを重ねる度に飛ばしたくなるのがハトなのかも。ひな祭りの今日、「町田さんのハトをペアリングするだっぺ」といって、合計4羽の美しいハトを巣箱へと移してくださいました。

聴覚の世界

今朝から鳩小屋の窓を一部開放しているのに鳩たちはなかなか外の世界を飛ぼうとしない。今年の春先に生まれたひなにとっては初めての世界だし、親バトにとってもそれは久しぶりのこと。恐怖心というのは外の世界で学ばなくとも遺伝的に受け継ぐものなんでしょうか?との問いに、それもあるけれど、確かに鳩小屋での生活によって視界は制限されているけれど、タカなどの声は届いているはずだし、野鳥の敵を警戒する鳴き声も耳に入っているから、と先日の大雨で寝てしまったお米「ゆうだい21」の稲刈りを始めながら、山崎さん。(R06)

冬瓜

海の底と思えば泳ぎだしそうだし、地面にのっぺりと横たわっている姿は生命体そのもの。これを軽々しく「もぐ」と言っていいものなのか。そんな疑問はおそらく農家のひとにもあって、囲炉裏を囲ったとき山崎のお母さんは「体調が悪いともっていかれるの」とつぶやいていました。

無心ですか?

野菜を摘むときは無心ですか?

そんな、もったいない。野良作業の醍醐味は、あれやこれやと考える時間がたくさんあることだ。得意のキュウリを前に、山崎さん。(R03)