Archives for the ‘オン・ザ・ロード/ルート6’ Category

ぴんぽん再び

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気仙沼の友人を訪ね、夜はぴんぽんへ。今宵もタラチョをたくさん、たべたっちょ(オン・ザ・ロード/ Route 6)

痛み分け

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私たちと何も共有するもののない――人種的つながりも、言語も、宗教も、経済的な利害関係もない――人びとの死が、私たちと関係している。この確信が、今日、多くの人びとのなかに、ますます明らかなかたちで広がりつつあるのではないだろうか? (アルフォンソ・リンギス『何も共有していない者たちの共同体』)

音の孤独

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か細い棒切れに結ばれた赤い布があちらこちらで風を受け、へんぽんと翻っている。揺れる布は、こんにちは、そんな風に言っているようでもあるし、さようなら、そんな風に言っているようでもある。こんにちはとさようなら、その両の手に掴まれて身動きが取れなくならないよう、できるだけ私情を挟まずにぽっぽぽっぽとハトのような返事をする(ハト本短編第四集『笑い』より抜粋)

大谷海岸

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そのとき、気仙沼方面に向かって器用に線路の上をとことこと歩く猫と眼があい、互いに、はっとしました。(気仙沼、2012)

ちょっと待ってよ

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冬は、葉も落ち停滞して当然の季節だから、好きです。梅が咲き、桜が花開く頃には、なんだか進歩を要求されているようで、ちょっと待ってよ、という気持ちになってしまいます。世の中はそんな声には答えてくれないけれど、でもその、ちょっと待ってよ、の前にまだ冬なのが東北です。いや、青森の白浜に住むこの家の住人が、ちょっと待ってよ、と私に声をかけてきそうです。そして、そんな両者を必ず待ち構えていてくれるのが、次くる冬です。(オン・ザ・ロード/ Route 6)

相馬小高神社

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巨大な穴の手前、ここから、とここまでの境にある神社。空虚な穴を癒す手がここにある。

浜吉田

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ハトを無事に家に返すひとつの力となるのが、愛、だといいます。「家に(のっけてくれる)かーちゃんが待ってくれていると思うと誰だって帰りたくなるだっぺ」とは山崎さんの弁。寄り添いながら身を守り、寄り添いながらよりよい生き方を考えるのが、種のとってきた道なのかな。(オン・ザ・ロード/ Route 6)

あるわけない

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去年あった風景だからといって、今年それがあるとは限らない。いや、去年あった風景だから、今年なんかにそんなの、あるわけない。(オン・ザ・ロード/ Route 6)

ゆめ、うつつ

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数年前、ここで田んぼを耕していたあのひとは、この景色を見て笑うだろう、泣くだろう。ゆめ?うつつ?はっとするほどの黄色い大地を、今は雪が白く染めていること、私は、私の山の白さの中で、夢想する。(オン・ザ・ロード/ Route 6)

楢葉の神社

駅前の神社、多分ここは毎日毎日「こんにちわ」という言葉や想いが溢れるところだったでしょう。今、それはなく「さよなら」があるだけ。(オン・ザ・ロード/ Route 6)

岩沢海岸

どんなにひとがせっせと境界線をひいたとしても、自然はそれをいとも簡単にぼかしてゆく。(オン・ザ・ロード/ Route 6)

ひとのもん

いつもは自分のもんとして地平線からあがる太陽を拝んでいるけれど、この日気仙沼にあがった朝日は、気仙沼のひとのもんだと思った。(オン・ザ・ロード/ Route 6)

北茨城

どこを飛ぶともわからぬ大地と空にあって、通ってくれたらいいなと思いながらまちぶせをする。地形や風を読んではいるけれど、無駄を覚悟でまちぶせる。じっと息をひそめて待っていると、その息が次第に環境に溶けていくのがわかる。動物も山も人もなにもないような気になる。けれど、待ち望んでいたあなたが目の前を通ると、はっと、全てがまた環境から突出して、人間だ!という気持ちが一気に沸き立つ。鷹もそんな感じではっとなって、ハトを襲撃している。そういやー、君もハトくんを待っていたんだよね。(オン・ザ・ロード/ Route 6)

気仙沼ピンポン

海の男と女、サラリーマン、カメラマン、作家、無職、編者、子供、職人が、夜もふける気仙沼の町のひとつの店に集まって飲んでいるということの、不思議。山で木を切ると下から芽が一斉に吹くけれど、この場所に倒れた大木はない気がします。ここで出された「女のあそこ」を意味する名のスパゲッティーくずれをまた食べたい。(オン・ザ・ロード/ Route 6)

気仙沼湾

幼い頃、湾を見下ろす高台に住んでいたことがあったので、こういう風景にはこころが落ち着く。湾は、生活を優しく包んでいる、ということを可視化しているようでもある。湾がそれほどいいのは、ぐるっとまわったその先にもひとの生活があるということが見えること、けれども、そこまでにはそれなりの距離があって、すぐにはたどり着けないということが双方に知れていること。(オン・ザ・ロード/ Route 6)

福伏の船

船が沖をむいている。いつもだったら頭の中で気軽にお尻を押して船を海面に滑らせるのに、それがためらわれる。それでも、やはり船は船だから、僕は、船をすーっと音もなく船出させる。(オン・ザ・ロード/ Route 6)

風景を前に

去年の今頃、陸か空かも混乱するようなこの景色を前に、自分は陸に住むひととして文を綴る覚悟ができているのか自問したけれど、今もまだ自答のさなか。(オン・ザ・ロード/ Route 6)

蕉島

鳥は、もちろん空を飛んだり、優雅な姿勢で休んだり、顔を羽の間に埋めて寝込んだり、それこそ重なって男女のことをやったり、物思いに耽ったり。こちらの都合で優雅な姿で飛んでいるのが普通だって思っているけれど、まさにさまざまなことを、さまざまな時間帯に、それこそ三次元的にやってらっしゃるようです。(オン・ザ・ロード/ Route 6)

六ヶ所村

うぉんうぉんとうねるプロペラ。風の向きを知らせてくれる屋根に乗った風見鶏を見るように軽々しく見ることはできないけれど、自然と対峙している人間の無力さが、風のあるなしが見える以上に見えてくる。無力だ、ということはいいことです。(オン・ザ・ロード/ Route 6)

鷹架沼

撮影している私の足下の崖を、カモシカが走り去っていった。話によると、エゾシカが北海道から津軽海峡を泳いで青森側まで渡ってきているそうです。つぎは、海峡を渡ったエゾシカに会ってみたい。(オン・ザ・ロード/ Route 6)

もの食うひとびと

雪消えぬしんしんと冷える広大な農場を横断する送電線。その送電線の先にはもの食う私たちの生活がある。わんわんわん、農場の犬の鳴き声が寒さの中それでも暖かく感じられる。(オン・ザ・ロード/ Route 6)

青森港から沿岸ルート

オン・ザ・ロード/Route 6(沿岸)

山が険しく環境が厳しくとも直線的に内陸部を飛ぶハトも入れば、それを回避するようにして海岸ルートを飛ぶハトもいます。空に決まったルートがないのとは逆に、狭く不自由な陸地の旅を続けます、空に開かれた自由で厳しい路を思いつつ。

南三陸

森有正さんの教えという訳ではありませんが、やっぱり私も、ヒューマニズムとか、平和とか、自由とか、そういうところからスタートするのはまずいような気がするんです。今回の人災を含めた災害が、映画を撮り始めた私に、そのことをいやというほど突きつけます。例えば農夫にとっての自由とは、いろいろなものの犠牲の中に、いろいろなものの経験の果てに、いろいろなものの罪の終極にあるのではないでしょうか?南三陸の空を見上げながら、そういうことを思いました。